テントメーカー(tentmakers)

なぜパウロは天幕を作ったのか?Part 12

投稿者: Administrator on . Posted in テントメーカー Tentmaker

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 

霊的準備は必要なのか?

すべての兵士が軍人としての訓練を必要としているわけではありません。しかし歩兵は、聖書について、また霊の戦いについて、自然的な聖書研究会について、漁師伝道に ついて、そして聖書を調べる(伝道的な)聖書研究会の話し合いのリーダーシップについて知っていなければなりません。彼らは最低1年間のまたはそれに同等 する教会または大学の聖書研究会での聖書を学ぶ期間が必要です。また総論的な宣教に関する短いコースを取らなければなりません。外国人を伝道するというの はこれ以上無い霊的準備です。

IVCF-IFESのような学生のフェローシップでは、すばらしい内部で仕えるミニストリーの訓練を受けることが出来ます。なぜなら大学は私達の住む、文化の入り混じった、また霊的に反抗的な 世界の縮図だからです。若い人々は宣教師たちと共に夏季宣教訓練に参加することが出来ます。「ジュニア・イヤー・アブロード」といって、経験のあるキャンパス伝道者から訓練を受けながら言語と文化を学ぶプログラムを行っているところもあります。

テントメーカーは信頼し、従います。

テントメーキングにおける最大のチャレンジは、平信徒の宣教師の不足ではなく、反キリスト教的な政府による制限です。通常の宣教師もまた、許可をもらえなかったのでないなら、同じチャレンジを経験します。

テントメーカーは神が信頼できる方であり、危険や、解雇や、国外追放から守ってくださるということを知りつつ、賢く、求道者を釣る伝道をしていかなければな りません。すべての人が難しい環境にいるわけではありません。多くの家庭はこれらの文化の中で生活を楽しんでおり、何年間もそこに住んでいます。

私達の王は、その創造の権利によって、また贖いの権利によって、すべての国を所有しておられます!誰も彼の許可なしには、その子供の一人にさえ触ることは出来ないのです。

こんにち少数の信者しか存在しないところでも、まもなく教会は繁栄し、昨日の迫害されていた少数派の人々が、きょうは成長し増殖している教会になるようにな ります。私達はイエス様の言葉を持っています。「私は私の教会を建てる。」(マタイ16)私達は、この世界の支配権を巡る全世界を含んだ戦いがどのような 展開になっていくのかを、聖書の最後の書の中に垣間見ることが出来るのです!(黙示録11:15、7:9-12)

しかしまたすでに伝道された地域も分極を経験するようになり、違う形での迫害が起こります。以前のキリスト教社会に見られたような世俗化のように。宣教の指 導者の中には、まもなくどこに行っても宣教師が受け入れられなくなるときが来ると予想しています。この歴史の終わりの時代に、地元の平信徒と外国のテント メーカーだけが世界宣教を達成することが出来るのです。いまこそいたる所で平信徒を訓練すべきときです。テントメーカーのモデルは重大なのです!

この1990年代の増加する国際雇用機会の中、テントメーカーと通常の宣教師、そして受け入れ国の信者と自国の贈り手達は、みな私達の最高指揮官の元で仕え ています。私達はすべての民族の中に教会を開拓し、あらゆる国々からの群集に加わり、私達の王の王に賛美を歌うことが出来るのです!

ルース.E.シーメンス

Bibliography (in addition to Bible commentaries):

Roland Allen. The Case for the Voluntary Clergy. London: Eyre and Spottiswoode, 1930. Roland Allen. Missionary Methods: St. Paul's or Ours? London: World Dominion Press, 1930 .Roland Allen. Spontaneous Expansion of the Church. Grand Rapids: Eerdmans, 1962. F. F. Bruce. Paul and his Converts. Downers Grove, IL: IVP, 1985. W.J. Coneybeare. The Life and Epistles of St. Paul. Grand Rapids, MI: Eerdmans, 1968. William Danker. Profit for the Lord. Grand Rapids, MI: Eerdmans, 1971. Michael Green. Evangelism in the Early Church. Grand Rapids, MI: Eerdmans, 1970. Gerald Hawthorne, Ralph Martin, Eds. Dictionary of Paul and his Letters. Downers Grove, IL: IVP, 1993.

(permission obtained from Global Opportunities (GO) to publish in Japanese)

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良くある質問と答え

  • 人に不快な思いを与えるようなものでさえなければ、礼拝に出席する服装の決まりは基本的にありません。ただ、礼拝に集まる信者たちは、「神様のみ前に出 る」という思いをもって集っています。礼拝にどういう服を着ていくか、ということは、「人の前でお洒落をする」ということではなくて、「神様のみ前にどの ような思いで出るか」ということなのです。
  • 聖書の語る神様は、天地の全てを造り、私たちに命を与え、人生を導き、そして命を取り去られる方です。その神様が、独り子であるイエス・キリストを私たち の救いのためにこの世に遣わして下さいました。イエス・キリストは「独り子なる神」です。キリスト教はイエス・キリストが始めた宗教ではありません。イエ スをキリスト(救い主)と信じる宗教です。キリストは「開祖」ではなく、信仰の対象である神なのです。天地の創造主でありキリストの父である神と、独り子 なる神キリストと、そして聖霊なる神の三者であり、同時に一人の神である「三位一体の神」を私たちは信じています。
  • テレビ見る子供たちQ うちの子が一緒に遊ぶ、近所のお子さんたちは、あきれるようなテレビ番組を見ています。親たちが、暴力やセックスを子どもたちに見せていることが信じられません。こういう番組を見ていると、後々どのような影響が出るのでしょうか。

    A  あまりにも多くの親たちが、テレビを子どもの好き放題に見せていることは、悲しく、また理解しがたいことです
    「何を見せてもいいじゃないか。」と言う方々に、私はこう聞きたいと思います。
    見ず知らずの人が、あなたの家を訪ねてきて、「お疲れのようですね。一日二日、お子さんたちの面倒を見てあげましょうか。」と言ったとします。「やあ、ありがたい、ぜひ、頼みます」と答える人は、まずいないでしょう。
    これは、「子どものテレビを考える会」代表のペギー・チャレン女史が使った例です。彼女の言いたいことは明らかです。

    子 どもたちをテレビの前に座らせる時、私たちは彼らを見ず知らずの他人の手に任せているのです。子どもに自由にテレビを見せることによる危険性は、ますます 大きくなりつつあります。テレビでの暴力が、後になってしばしば子どもや十代の若者による暴力となって現われることは、数多く実証されてきています。

    中でも、レナード・D・アロン博士の研究は、大変に説得力のあるものです。
    複数の子どもたちを、まず8歳、次に19歳、最後に30歳の時に調査しました。国は、米国、豪州、フィンランド、イスラエル、ポーランドにまたがりました。結果は、どこでも同じでした。
    8歳の時に暴力番組をひんぱんに見ていた子ども程、30歳の時に犯罪者となっていた確率が高く、飲酒時の行動は節度を欠いていました。

    親は、子どもたちのテレビを見る時間と番組の内容を規制しなくてはいけません。さもないと、恐ろしい結果になるかもしれません。


    FROM ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

  • Q 妻として、博士のおっしゃる「男女の違いが」私たち夫婦にどれほど当てはまるか気になります。夫が私をどれほど必要としているかを、私自身が十分把握していないのでしょうか。

    A  恐らくそうだと思います。性的な欲求を除けば、男性が女性に自分の必要を告げることは大変まれです。男性自身が自分の行動形態を自分で分かっていないのか もしれません。簡単に言えば、夫が自信を持つためには、妻の助けが必要なのです。彼は自信がないように見えないもしれません。男は自分の不安をを隠すのが 上手なのです。一般的に夫は妻に「尊敬されている」ことを確認したいのです。それは、妻が夫に「愛されている」のを確かめたいのと同じようなことです。

    女性のこの重要な役割について、私の友人であるE.V.ヒル博士のよい実例があります。博士は、ロサンゼルスにあるバプテスト教会の黒人牧師です。ヒル博士 は数年前に奥さんを癌でなくしました。その葬儀で、良妻のジェーンにいかに助けられたかを彼は語ったのですが、私はたいへん心を動かされました。

    若 い頃、彼は牧師として生計を立てるのに苦労しました。彼は妻の反対を押し切り、なけなしのお金をはたいてガソリンスタンドの経営に乗り出したのです。夫に はこの事業を監督する時間も技量もないと彼女は感じていました。そして結果はその通りになりました。やがてスタンドは破産し、彼は無一文になりました。若 い牧師にとってこれは人生の危機でした。重要な企てに失敗したのですから、妻に「だから言ったでしょ」となじられても仕方がなかったのです。

    しかし、ジェーンは、夫の弱味を本能的に知っていました。それで、彼がスタンドはだめだったと電話で告げたとき、彼女の答は「いいのよ」の一言でした。

    彼 はその晩、帰宅する時、先見の明のない夫の投資に妻がふくれつらをしているだろうと覚悟していました。ところが、彼女は夫のそばに腰を降ろしてこう言った のです。「ねえ、私、計算してみたのよ。あなたは煙草も吸わない、お酒も飲まない、もし両方ともやっていたなら、今回なくしたお金はとっくになくなってい たはずよ。そう考えれば今回のことは差し引きゼロよ。忘れましょう。」妻の態度によっては、夫の自尊心は跡形もなく砕け散っていたかもしれません。特に失 敗と恥の日には、男性の自我は、驚く程もろいのです。ですから、先生は妻から「あなたを信じているわ。」という言葉を聞く必要がありました。そして彼女は 確かにそのメッセージを伝たのです。

    ガソリンスタンドの失敗から間もなくのことです。彼が帰宅すると家が暗いのです。玄関を入ると、妻がキャンド ル・ディナーを用意していました。「奥様、いったい今日は、何の日でしたかね。」と彼はおどけて見せました。「何となくムードを出してみたくて。」と ジェーンは答えました。夫もそれには大賛成で、洗面所へ手を洗いに入りました。電気をつけようとしましたが、つきません。寝室に入って別のスイッチに触り ましたが暗闇のままです。若い牧師は食堂に戻って、停電かと聞いたところ、妻は泣き出しました。「あなたは精一杯働いてくれているし、私もがんばったけど 先月の電気代は払えなかったのよ。キャンドル・ディナーにしたら、あなたに知られないでいられると思って・・・」今は亡き妻の言葉を語るヒル博士の声は震 えていました。

    「もし妻に『こんなめにあったのは生まれて初めてよ。電気を切られるなんて考えたこともなかったわ。』と言われていたら、私はすっ かり自信を失い、やる気をなくしていたでしょう。ところが、妻は、『電気はそのうちつくわ。今晩はキャンドルを楽しみましょうよ。』と言ってくれたので す。」ジェーン・ヒルさんは素晴らしい方です。

    彼女の多くの賜物や特質の中で、私が一番感心したのは、夫を励まし支える妻の役目をよく自覚してい たことです。現在E.V.ヒル博士は、影響力のある指導者です。彼が自信を得、それを保つために妻の助けが必要だったなどと誰が信じられるでしょうか。し かし、男とはそういうものなのです。われわれ男性は、特に若いうちは、自信がなくて悩むのです。私自身がそうでした。妻シャーリーのお陰で私は一人前にな れたのです。何度も繰り返し言ってきたことですが、自信に欠ける私を彼女が信じてくれ尊敬してくれたために、私は外で競いあい、努力し、冒険をすることが できました。

    私が何かを成し遂げたとするならその多くは、「私がついているからね」といってくれた妻の愛と献身との賜物です。あなたもご主人のために同じことができます。彼の必要を満たしてあげなさい。その効果は私が保証します。

    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから