テントメーカー(tentmakers)

なぜパウロは天幕を作ったのか?Part 7

投稿者: Administrator on . Posted in テントメーカー Tentmaker

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 

いったいパウロはなぜ働いたのか?

第2コリントにおいて、パウロは非難のさなかにあった彼のメッセージと会話的な説教を弁護しています。そしてまたコリント人の質問にも答えています。しかし 9:3で彼は以前の最も厳しい非難を受けた使徒職と自分の手で働く事に関して弁護を始めています。古代のほとんどの著者が(またほとんどの聖書記者も)そ うであるように、パウロも最重要の話題を彼の手紙の真ん中に書いています。彼はその手紙の真ん中で、福音のために権利を捨てるということを弁護していま す。パウロはこれは私を調べる人に対する私の弁護だと言っています。私たちはパウロがその手で働いた3つの理由を考えたいと思います。

信頼のため。彼は二度(第1コリント9:12、第2コリント6:3)彼が働くのは、異邦人にとって彼のメッセージの動機が疑いとならないように、福音の妨げとならないようにだといっています。パウ ロのセルフサポートはかれが本物だという事を実証しました。彼は経済的なサポートを受け取っていませんでした。いやむしろ、多大な犠牲を必要としました! 彼は、国中を歩き回りながら、聴衆から搾取しているような非良心的な演説家と思われる事はありませんでした。彼は「すべての人に対して自由である」ために 誰からもお金を受け取りませんでした。彼はどんな金持ちの後援者からも恩恵を受けていなかったし、また政治的派閥からも、裕福な個人からも、コリントの分 派からも何も受けていませんでした。この町において、この事はどんなに輝かしいポリシー出ある事が証明された事でしょう!

アイデンティティーのため。パウロは、人々を勝ち取る目的のために彼らの文化に適応するために仕事をしました。彼はユダヤ人にはユダヤ人として、ギリシャ人 (教養のある異邦人)には高い教育を受けた、3カ国語を話す、3つの分化を持っている、上流のローマ市民としてアプローチをしました。しかし彼がまず焦点 を置いていたのは、「弱い人々」、貧しい人、教育を受けていない人、身分の低い人、そして教養の無い人々でした。(彼らは野蛮人ではありませんでしたが、 みなギリシャ語を話す人々ではありませんでした。奥地から来た田舎の人々や部族の人々、また多くの外国人も含まれていました。日雇い労働者も少しいました が、そのほとんどは奴隷の人々でした。)

パウロの社会的な身分と教育は、 どこに行っても上流階級の人々からの尊敬を集めました。(明らかに、彼のぼろぼろの服もそれを隠すことは出来ませんでした。)アテネでは、彼はこの大学都 市の哲学者から広場で話すことをお願いされました。エペソでは、地元のアジア人の支配者達でさえ彼の友達になりました。ローマの総督フェストもパウロ、博 学が気を狂わせているといいました。

しかしパウロにとっては労働者と同じ になることのほうがもっと難しかったのです。ですから彼はその手で仕事をして自分の生活費を稼ぎました。(第1コリント9:19~)彼は彼らと同じ物を着、 同じように生活をしなければなりませんでした。そこには「ふりをする」ということがあってはなりませんでした。彼と彼のチームは完全に彼らの労働によって 生活していたのです。(ピリピ3:7-9はパウロが彼の財産を失ったことを示していませんか?)

どうして教育を受けていたパウロがなぜ、社会的にも経済的ににも低いところに位置していた職人と一緒にされることを選んだのでしょうか。なぜならローマ帝国 のほとんどの人々は低いクラスの人々だったからです。70から80パーセントの人々は奴隷でした!さらには、教養の無い人達こそ、パウロにとってギリシャ 語を話さない田舎の人々や、奥地の部族への接点だったのです。パウロが労働者と自分を同じ者とみなしたことは偽者ではありませんでした。賃金は低いもので した。しばしば彼は空腹で、寒さにふるえ、ぼろぼろの服しか着れませんでした。このモデルはパウロだけのオリジナルではありません。彼は、私達と同じにな るためにすべてのものをお捨てになったイエス様の真似をしたのです。パウロは第2コリント8:9、ピリピ2:5-11、第1コリント11:1でこのことを思い 起こさせてくれます。

モデリングのため。パウロは書いています。「苦労し、骨折って、私たちはあなたがたに迷惑をかけないため、そしてあなたがたに見本を示すために昼も夜も働きました。」(第1テサロニケ3:8)

第一に、パウロは改宗者に福音を生きることがどんなことかを示しました。教会でだけではなく、職場において!彼らはクリスチャンという人々を見たことがあり ませんでした。彼らの誘惑に満ちた、不道徳な、偶像礼拝の文化にあって清い生活をどのように生きればよいかということは、口で教えるだけでは十分ではあり ませんでした。パウロがこの同じ汚い環境の中で神を敬う生活をできたということによって、彼は尊敬を得ました。(第1デサロニケ4:1~)

第二に、パウロは聖書的な仕事の倫理の 模範となりました。(第2テサロニケ3:6-15)改宗した泥棒や、偶像礼拝者や、酔っ払いは、家族のために忠実に働く者、必要のある人に気前よく与える者 に変えられていきました。(第1コリント6:10、エペソ4:28、テモテ5:8)変えられた浮浪者が外部のものに与えたインパクトを考えてみなさい!パウ ロは仕事について多くを書きました。それ無しには、神を敬う改宗者も、健康な家族も、独立した教会も、生産的な社会も有り得ませんでした。

第三に、パウロは平信徒の伝道者の働き 方を決定する模範を示したのです。(第1テサロニケ1:5-8)改宗者は直ちに彼らの社会的におかれた場所において変えられた生活と新しい希望について質問してくる人々に答えることによって伝道するフルタイムの、無償の伝道者になりました。すべての改宗者は、敵の領域への新しい最前線になりました。彼らは、 親戚や、友達や隣人や、職場の同僚をキリストに勝ち取ってしまうまでは性急に自分たちの環境を変えてはいけませんでした。(第1コリント7:17-24)

パウロは行き当たりばったりの伝道はしませんでした。彼は注意深く戦略を立て、「賢い建築家のように」固い土台を据えていったのです。(第1コリント3:10-15)テントメーキングは彼の計画になくてはならない部分でした。

スポンサーサイト:

良くある質問と答え

  • 日曜日は、イエス・キリストの復活を記念する日です。その日に教会は礼拝を行ってきました。そのキリスト教が社会の中心となっていったことによって、紀元 4世紀に、ローマ帝国で、日曜日を休日とすることが定められたのです。日曜日が休日だから礼拝をしているのではありません。教会がキリストの復活を記念し て日曜日に礼拝をしていたから、日曜日は休日になったのです。
  • 子育てQ 息子の部屋をそっとのぞいてみて、何をしているのか確かめるのはどうでしょうか。親はそんなことをしたらいけないでしょうか。

    A 十代の子どもたちのプライバシーを冒してでも、両親が秘密に調査をしなければならないときは確かにあります。ある俳優が十代の娘が麻薬を使っていることを 発見したとき、この問題はメディアで広く話題になりました。問題がついに表面化した時、この母親は事実をつきとめる努力を怠ったことを後悔していると述べ ました。彼女は多くのトークショーに出演し、「ああいうケースの子どもたちは親に見つかった方がよい」という意味のことを語りました。プライバシーうんぬ んもさることながら、目の前で進行している犯罪行為を目をつむって見ようとしないことの方が問題です。
    息子さんのしていることを確認してくださ い。もちろん、親は自分の子供をよく知っているべきです。違法なことや自分の害になることなど全く興味がないという青年たちもいます。そういう子どもたち の部屋や私物まで調べるようにとは、私も勧めません。しかし物陰に隠れてはあやしげなことをし、おかしな友だちを集め、家の中では親を決して部屋に入れな いような子の場合は、私なら遅くならないうちに事実を確認する努力をするでしょう。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A
  • Q. キリスト教は、禁酒禁煙ではないのですか。

    A. 「そうです」とも「違う」とも言えません。 確かに教会が禁酒禁煙を声高らかに謳った時代がありました。それにはそれぞれ理由があります。 どんな生活が神の前にふさわしいかは、それぞれ信仰と良心の自由に基づいて判断されるべきです。 キリスト者の生活態度は、神の戒めに従うことです。神はその民イスラエルに十戒を与え、それを守るように命じられました。

    神はこれらすべ ての言葉を告げられた。 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神 である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の 中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わた しは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与 える。あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の 間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷 も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息 日を祝福して聖別 されたのである。あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。殺してはならない。 姦淫してはならない。盗んではならない。 隣人に関して偽証してはならない。 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」(「十戒」出エジプト記20:1~17)

    またイエス様は守るべき戒めを次のように新しく解釈されました。
    「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」「隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタイ22:37,39)
    つまり守るべき戒めとは、神と人を愛することなのです。
    キリスト者には上にあるような基本的な生き方がありますが、どんな生活を送るかは自由であり、多様であるとしか言えません。しかし何ごとも神の栄光を表すためでありたいものです。
  • Q 既婚女性が情緒的な満足を得るには、結婚生活以外のところに目を向けるべきだということですか。

    A  まさしくその通りです。情緒的な弱さを持った女性が、ストイックで、女性の心の機微を理解しない男性と結婚している場合は特にそうです。

    もし、彼女が、意味ある全ての会話の相手、また情緒的な全ての必要を満たしてくれる相手を夫に期待するならば、結婚生活は長続きしないでしょう。妻の「魂 の渇き」をどう処理したらいいか、どうしたら妻が幸せになれるのか、夫には全く見当がつかないのです。夫が、自分の願うような夫になってくれる見込みがな いと分かった時、二人の間には不満がわだかまり始めます。この問題で行き詰まった結婚の例を、私は限りなく見てきました。解決はどこにあるのでしょう。普 通の情緒的な必要のある女性ならば、そのままではいられません。心の底で悲鳴をあげています。

    ひとつの答えは、他の女性たちと意味ある人 間関係を築くことによって、夫が満たしてくれないものを満たすことです。心から話し合い、聖書を学び、笑い、泣き、子どもを育てることのできる、女性の友 人を持つことは精神衛生のために必要です。まさにこの方法で、多くの女性たちは過去何世紀もの、自分たちの情緒的な必要を満たしてきたのです。多くの男性 たちは週に60、70時間も働いて、妻の心の必要に答える時間もエネルギーもなかったのです。しかし、女性たちのネットワークがその空洞をみごとに埋めて いました。彼女らは一緒に働き、一緒に料理し、一緒に教会に行きました。それで、どうにか満足できたのです。

    今日、女性たちのネットワー クはどこへ行ってしまったのでしょう。多くの女性は仕事を持ち、近所に女性たちの姿がなくなり、人々はよく引っ越すようになりました。血縁者のつながりは 薄くなり、文化は進みました。そのため女性同士の友情は見い出しにくく、多くの若い女性たち、特に二人以上の就学前の子どもを持つ母親たちは友人を探すこ とをあきらめています。あまりに面倒なためです。しかしながら、若い主婦の読者の方々は、このようなパターンに陥らないように願ってます。どれほど忙しく ても、同性の友情を育むために時間を費やしてください。家に閉じこもって、誰かが話しかけてくれるのを待つ誘惑に負けないでください。あなたの必要に答 え、聖書のみことばを宣べ伝えているキリスト教会に家族で出席してください。同じ様な気持ちを持った女性たちが周りには大勢います。彼女たちを探し出し、 愛し、そして自分を与えるのです。そのうちにあなたの自尊心も高まります。あなたが満足していれば、結婚生活もうまく行きます。

    簡単すぎる答えに聞こえるかも知れませんが、人間はそのように造られています。人間は、社会的な生き物として、神を愛するように創造されており、孤独ではうまくいかないのです。孤独を避けてください。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから