なぜパウロは天幕を作ったのか?Part 9
パウロの戦略はどのように効果を発揮したのでしょう?
彼の平信徒伝道者たちの多くは、好ましくない、教育を受けていない、不信心な背景からの人々でした。誰も人類学や、宣教学の訓練を受けたこともありませんで した。ほとんどが奴隷でした。しかし彼らは大きな個人的な危険を冒して福音を信じ、また給料無しにその福音を命を懸けて他の人々に伝える人々でした。
10年の間に、(3回の伝道旅行は10年を要しました。)パウロとその仲間は(経済的支援無しに)6つのローマの州を伝道しました!
彼らは無学の、無給の、そのほとんどが奴隷であったような人々を勝ち取り、彼らを動員することによってそれを成し遂げたのです。
パウロはローマのクリスチャンに彼の過去20年にわたる宣教の働きについてこう述べています。「エルサレムからイルリコ(今のアルバニア)にいたるまで、キ リストの福音をくまなく伝えました。…もうこの地方には働くべき所がなくなりました。」(ローマ15:19-24)彼は帝国のギリシャ語を話す半分の人々 への伝道を終え、ラテン語を話す、ローマとスペインを含んだもう半分の人々の方へ向かっていたのです。
しかしどうして彼は、一度も主要都市の 外では働いたことがない様にみえたのに、地中海のギリシャ語を話す半分の地方への働きを終えたといい得たのでしょうか。同じ手紙の中でパウロは、自分はユ ダヤ人にも異邦人にも、ギリシャ人にも未開人にも負債を負っていると書いています。(ローマ1:14-16)未開人は、ほとんどの人が第一言語としてギリ シャ語を話さず、田舎や部族の住む村村に住んでいる人たちでした。パウロは彼らのことは気にかけていなかったのでしょうか。
ローマ帝国はつながった都市の連携と、 軍隊による植民地の集まりにすぎず、それぞれの地方は独特の文化、独特の法律をもっており、それらはローマの権力者によって管理されているのが通常でし た。ローマの皇帝も、以前のギリシャ人の中でも、誰一人それらの部族の人々を統合しようとか、教育しようとはしませんでした。都市においても、たくさんの 言語が話されていました。パウロは、リカオニア語を話す人々によって、ルステラ大変な騒動に巻き込まれました。(使徒14章)
パウロの戦略は、このチャレンジを満た しました。多国後を話す、低階級の改宗者達が無給の伝道者になることによって、パウロは奥地への伝道を保証したのです。ミカエル・グリーンは改宗者達がど のように彼らの生まれ故郷に福音を伝えに行ったかを述べています。新しい改宗者は、同じ服装、同じ言語と分化を持って、外国の宗教としてではなく福音を自 国へ持ちかえりました。また村の人々が都会へ訪れることもありました。
ピリピでの数ヶ月の後、パウロはマケドニアの教会について、複数形で語っています。テサロニケへの彼の最初のフォローアップの手紙に、彼はこの福音はすべての地域から彼らに伝えられたと書いています。コリント人が、アカヤ地方で福音を伝えたのです。
パウロはエペソに3年間滞在しました。しかしルカは2年間の間に「アジアに住むものはみな聞いた」(使徒19:10)と書いています。これはローマのアジア 地方の全州、すなわち、ローマ帝国の経済的な中心地を意味しました。なぜならアジアの大きな貿易ルートはこの都市を中継していたからです!
ルカは大げさに言ったのでしょうか。暴動を起こし銀細工人のデメトリウスが、偶然にもルカの証言を確認しています!彼は言いました。「エペソだけでなく、ほ とんどアジア全体にわたって、あのパウロは大勢の人を説き伏せ、惑わせているのです…」銀細工の産業は商売にならなくなり、アルテミス神殿の礼拝は消滅の 危機にさらされるほど多くの人です!(使徒19:24-26)2年間でです!
パウロの戦略は土着の、そして指数関数的な(ねずみ算的な)成長をもたらしました!改宗者は急激に増えました。反対的な文化での開拓においては、そのスピー ドが重要でした。パウロの改宗者達はあまりにも急速に福音を伝えたので、反対が起こったときには、その火を消すにはもう遅すぎる段階になっていたのです! こんにち、私達はノンクリスチャンの宗教指導者達に福音に対する反対運動を何度も起こすのを赦しています。
ドナルド・マクガブラン博士は、教会成長には、大きな無給の伝道者達の力が必要であると述べています。しかし、もし私達の提供するモデルが献金に支えられた 伝道者の姿だけであるなら、どのようにしてその人々が生み出されるでしょうか。西側からきた宣教師たちは裕福であると考えられています。パウロの改宗者達 は彼にこう言うことは決して出来ませんでした。「あなたは給料をもらっているし、その時間があるから伝道できるんでしょう。あなたはこの国にあって家族を 養うために長い時間働くということがどういうことか分かっていないんです。」
もしテントメーカーが高い給料をもらっていたとしても、同じ問題は起こりません。なぜなら彼は彼のクリスチャンのミニストリーに対して給料をもらっていない からです。彼はその給料によって、必要のあるところに気前良く与えることが出きるでしょう。私達は、普通の宣教師の家族を含んだような、自給する宣教チー ムを送ることによって、今まで世界中に送り出してきた西洋的な宣教師のパターンを緩和することが出来ます。