ある人のデボーションノート 例3
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ある人のデボーションノート 例3:
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聖書 コリント一 13章1~13節
題目 怒るのはなぜか
パウロはコリントにある教会の人たちに向けて、どんなにすばらしい賜物を持っていたとしても、愛がなければ何の意味もないと語り、預言や知識はすたれてしまっても、愛だけはなくなってしまうことがないと教えています。
4節
愛がある人は人をねたまず、自慢せず、高慢にならないとパウロは教えています。どんなにすばらしい働きをしたとしても、愛がなければ何の役にも立たないのですから(1~3節)、もしねたみや自慢や高慢などがわたしの心にあるなら、まずそれを悔い改めなければなりません。私はクリスチャンになって何年もたちますが、成熟した愛を持っているでしょうか。私の中にねたみや自慢、高慢はないでしょうか。
<祈りと適用>
最近、人の欠点ばかりが目についてしまい、人の欠点や失敗を見つけると、つい責めたりさばいたりしてしまいます。先日は約束をした時間に遅れてきた人を責めてしまいました。また仕事を夜までにやっておくと言いながら、その時間までにしてくれなかった人 に対して、怒りの声を上げてしまいました。これが高慢だったのですね。私が怒ってしまうのは、その根底に「私だったらそんなことはしない」とか、「私なら失敗しない」という思いがあったからです。愛のないそのような行為、高慢だったわたしの態度を悔い改めます。そして怒ってしまった人に謝ります。これからは人に対して責めたり、怒ったりする前に、自分の内にある高慢に目を留めます。
<今日の優先順位>
・自分が高慢だったことを主の御前に悔い改め、怒ってしまった人に謝る。
・仕事において失敗します。間違えた人がいたとしても、怒らず、失敗をカバーする。