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出エジプト15:22-27

彼らは、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。これは、問題の始まりです。

私たちにも、水が見当たらない乾いた日々をすごすときがあります。その時、どのように問題を解決して行くのか?これに対する答えを上記の箇所から出しています。

人の必須であるものが自分には見当たらない時、どう解決するのか?

1.イスラエルの民人: 彼らは、モーセにぶつけて文句を言いまくりました。それでは、問題の解決できません。

2.モーセ: モーセは、これられを知っていましたが、彼は、神様にこの問題を持っていきます。そして、神様から答えが来ます。その答えというのは、私たちが考えるような答えではありませんでした。私たちは、早く水がほしいわけです。ですので、考えず、その水が与えられることを描いています。しかし、神様は、モーセに一つの木を示してくださいました。その木は、私たちが描いた答えにはなりません。なぜなら、水がほしいからです。しかし、これが本当の答えです。このように神様の考えは、私たちの考えと違います。モーセは、この木を取り、苦いマラの水に入れました。すると、その水が甘くなりました。

多くの場合、環境は変わりませんが、問題の解決は、神様の示したこの木です。

このようなことをする神様の理由は、神様に聞き従うためでした。

3.私たち: 今を生きる私たちには、1)問題の答えは、神様との関係や祈りという会話をとして受けられる。2)答えが自分の考えた形でなくても、別な形で答えられることを予測する必要があります。3)その答えに従います。

結論: 人生の問題があったとき、このように質問しましょう。「神様、これを通して私に語ろうとしていることは何ですか?」この質問から本当の解決と自由が与えられます。基本的に、神様は、私たちが自分勝手な人生を過ごすより、神様の声に聞き従うことを願っています。そのために、日々神様の御言葉をしたしみ、その中から流れる神様の御声に聞き従うことを願っています。

今の問題の解決は、主にあります。主が語る小さい声に耳を傾けましょう。きっと答えがあります。

アブラハム・リー@ゴスペルハウス

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