Posted by: isakuhorii
in MyBlog on 2011 1月 27
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自分が自分でいられる。
そのままの自分が好きで、そのままの自分が愛される。
それって一番幸せなことじゃないかなぁと思 う。
自分を偽ることが当たり前になってしまうと、元の自分に戻すのが大変だ。
無理して自分をつくることなんかしなくてもいい。
あ るおじいさんが言った。
「人を羨ましがらない人。その人は一番の金持ちだ。
人を憎むことを知らない人。その人は一番の幸せ者 だ。」
人を憎まなければ、人を愛せる。
人を愛せれば、自分も愛せる。
逆に言うと、自分を愛せれば、人を愛せる。
人 を愛せれば、人を憎まなくてすむ。
それって幸せだなぁ。
(注意:ここで言いたい「自分を愛する」っていうのは、「俺って チョーかっこいいし、頭いいし、モテモテだし。」というような自分勝手のナルシスト的考えではなくて、ありのままの自分を受け入れること。)
☆今日の聖書のことば
「イエスは答えて言われた。
『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新 しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』
ニコデモは言った。
『人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができ るのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。』
イエスは答えられた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、 水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。』」
―ヨハネの福音書 3章3~5節―
Posted by: isakuhorii
in MyBlog on 2010 10月 02
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僕たちは時に、なんで神様は答えてくださらないんだろう・・・というような疑問にぶち当たることがあります。
祈っても答えられなかったり、神様の御声を求めても聞こえなかったり。
あのダビデもそんな経験をしてたみたいです。
「主よ。早く答えてください。わたしの霊は絶え入りそうです。御顔をわたしに隠さないでください。わたしはさながら墓穴に下る者です。」
と言っている場面が聖書にあります。
そんな時僕たちは荒野にいるんだと思います。
何もなくて寂いしい荒野を好きな人は誰もいなんじゃないかなぁと思います。
でも荒野に導かれた時僕たちはそこから逃げてしまってはだめです。
なぜなら荒野って寂いしいところであると同時に、自分を成長させ神様と近づく場所でもあるからです。
イエス様も荒野に行き、そこでサタンの誘惑と試みを受け聖霊に満たされて帰ってきました。
モーセも荒野で40年間訓練されイスラエルの民を導きました。
神様は祈り続ける人を無視されるような方ではないです。
太陽が沈むと夜がきます。その長く感じる夜も待ち続ければ必ず朝が来てまた日が昇ります。
それと同じように神様からの返答は決して遅れることがありません。
僕たちが荒野で神様の声を求め続ける時に神様は答えてくれます。
Isaac [
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