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Ⅱサムエル16章 のろいを受けた時
光に当てられた時

 ・・・ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、今日の彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。

ダビデは、あんなに良くしたサウル族の一人からのろいの言葉を受けるが、反逆せずに言い訳もせずに、自分の罪の結果主がされたことだと、心を砕き続けることに徹している。恩に仇のようであるが、個人的に受け取らず、神から来たものだと信仰を持って受け止めている。


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第2歴代誌35章 ヨシヤ王は民のために羊、小羊、子山羊を提供した。これらは王の財産の中から提供された

ヨシヤ王は民のために羊、小羊、子山羊を提供した。これらは王の財産の中から提供された。

ヨシヤ王はエルサレムにおいて主の過越祭を祝い、第一の月の十四日に過越のいけにえを屠った。

そして、全焼のいけにえをささげるように命じた。ヨシヤ王は、そこで、民のために羊、小羊、子山羊を提供した。これらは王の財産の中から提供された。それは、自分から進んで犠牲を払うことであった。その見本に続き、高官たちもヨシヤ王でしたように、自分から進んで民のために、そして、過ぎ越しの祭りに参加する民のためにささげ者を準備した。

ある働きに、自分が参加する時、自分も犠牲を払って参加するようにしたい。その犠牲は、主へのささげ者です。
マタイ6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
天にいます神様への捧げものは、天に蓄えられます。

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アブラハム・リー


詩篇97篇 神に従う人のためには光を、心のまっすぐな人のためには喜びを、種蒔いてくださる

神に従う人のためには光を/心のまっすぐな人のためには喜びを/種蒔いてくださる

神様に従う人は、光を与えられる。ここを考えた時、ノアの従順を覚えました。ノアは、当時雨は降らない。しかし、ノアは、神様から箱舟を作りなさいと仰せられた。これに従って、その箱舟を作るとき、多くの人々は、嘲り、ノアが雨によってこの地が裁かれるといつも語っていたのですが、それを冗談だと思い、耳にもしなかった。そんな、馬鹿にされながらも、一日二日の話ではなく、箱舟が完成されるまでの数年にわたって、こんなにあざ笑われた。

しかし、神様は、こう語る。「神に従う人のためには光を、心のまっすぐな人のためには喜びを、種蒔いてくださる

ノアは、心をまっすぐにしていたので、周りの人から言われることを気にせず、喜びを持って従いました。

従順は、いけにえに勝り、必ず迷うことなく、与えられた光により、将来に行くべき道が案内され、喜びを持って送る人生に変えてくださる。

今日も、バイブルしながら、主の喜びを持って従いたい!!

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アブラハム・リー




ピリピ人への手紙 3:13,14

「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて
上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。」




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第2歴代誌34章 王はその律法の言葉を聞くと、衣を裂いた

王はその律法の言葉を聞くと、衣を裂いた

ヨシヤ王は、8歳で王となり、16歳の時から、偶像を取り除く働きをはじめた。26歳の時は、神殿を清めはじめた。その過程の中に、一つの書物を見つけた。それが、モーセの律法の書であった。

これをヨシヤ王が聞いた時、「王はその律法の言葉を聞くと、衣を裂いた」。かれは、悔い改め、ヨシヤはイスラエルの人々のすべての土地から忌むべきものを一掃し、イスラエルにいるすべての者をその神、主に仕えさせた。彼が生きている間、彼らは先祖の神、主に従う道からはずれることはなかった。

主の言葉があり、その律法の書に書かれたとおり、偶像礼拝したことから災害が来るが、悔い改めたヨシヤ王には、その災害が来ないとのことでした。

一つの原則が見られます。それは、悔い改める原則です。どんな裁かれるべきことがあったとしても、謙遜に自分から悔い改めるなら、神様はその人を赦し、その人に当たる罰から赦されるのです。しかし、そうでなければ、必ずその結果は、裁きと罰が当たります。

今日も、謙り心を改めて、一日をはじめたく思いました。

どんな時にも、謙遜にあられるように心を制したいです。

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アブラハム・リー


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詩篇96篇 神々を超えて、最も畏るべき方

神々を超えて、最も畏るべき方

この詩編は、主に向かって歌うことから始まり、その理由が書かれてあります。

その大きな理由は、天地を創られた神様であるから。そして、その神様は、すべての民を正義と講義を持って正しく裁かれるからです。再び、この地に戻り、すべての諸国の民を裁かれるからです。

神々を超えて、最も畏るべき方であるからです。

諸国の民の神々はすべてむなしいすべての人間の手で作られた神々・偶像などは、むなしい。その人間の手で作られたものは、神でもない。ですので、創造主は、神々を超えて、最も畏るべき方

このような事実を知ることから、自分の正しい道を歩むことと尊さを覚えて、正義と公儀を持って一歩一歩歩みたく思います。

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アブラハム・リー




ピリピ人への手紙3:1

「最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じ事を書きますが、
これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。」



第2歴代誌33章 彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり

彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり

マナセ王は、父ヒゼキヤ王とは違って、忌み嫌うべき習慣により主の目に悪を行った。神様は、彼に預言者などを遣わし、主に戻るようにしたが、聞こうともしなかった。その結果、主はアッシリアを用いて、ユダを攻めてきた。マナセ王は、アッシリアの囚人となり、苦しみを受けられた。

彼は苦悩の中で自分の神、主に願い、先祖の神の前に深くへりくだり
祈り求めた。神はその祈りを聞き入れ、願いをかなえられて、再び彼をエルサレムの自分の王国に戻された。こうしてマナセは主が神であることを知った

このようにして、彼は悔い改め、新しい人となり、すべての偶像を取り除き、イスラエルの神、天地創造主の神を拝むようになった。

どんなに忌むべきことをしたとしても、自分で神の前に深くへりくだることは、神様との関係を回復することができる。これが、クリスチャンの生活の一番でないか?と思いました。自分の過ちも常に主に謙ることから、新しくなることができる。人生は、やり直されることができることでしょうね。

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アブラハム・リー